FLYING POSTMAN PRESS

『良くなった動物』 眞名子新の素顔

家族会議でプライドが剥がれた
“やわらかい眞名子新”の素顔を覗く

 2025年5月にリリースした1stアルバム『野原では海の話を』からおよそ1年。6月17日に2ndアルバム『良くなった動物』をリリースしたシンガーソングライターの眞名子新。リリース前には前作『野原では海の話を』が「APPLE VINEGAR - Music Award 2026」大賞に輝いたというニュースも届くなど、眞名子の歌は音楽関係者の耳に留まり、今一気にその名を広めている。

 最新作『良くなった動物』は、晴れた日に延々と車を走らせながら流したくなるような、伸びやかな眞名子の歌声が心地よい、フォークやカントリーをベースにした多幸感溢れる1枚だ。そして今作もすべての楽曲の歌詞を手がけるのは、兄のmotoki manako。このインタビューでは、高校生の頃から深まったというふたりの関係性や影響を受けてきた存在などについても聞いた。

取材・文:俵本美奈



受験期の家族会議で、兄との関係に変化

──今日は、眞名子新さんのパーソナリティについてもお伺いしていきたいなと思っているのですが、まず、眞名子さんがご自身を言い表すなら、どんな人だと思われますか?

眞名子 素直な人間だなと思っています。素直で、真面目で…ちょっと悪くて、みたいな(笑)。音楽に関しては特に、あまり嘘はつけない人間かなと思います。

──好きになったらずっと好き、という感じですか?

眞名子 音楽に関しては本当、そうですね。音楽はずっと聴いてはきたんですが、意識して聴き出したのは中学生ぐらいの頃で、大学生になってからは自分で作るようになって。

──これまで、音楽から離れたことは?

眞名子 あります。大学4年間はひとりで音楽活動を続けていて、音楽事務所から声をかけてもらって育成契約みたいなのを結んだんです。周りが就活をするタイミングで音楽で生きていこうと決めたのですが、そこでひとつ作品を作ろうという話になった時に、音楽性の違いで“何か違うな”と感じて。自分がいいと思ったものが合わず、こういうものが求められているのかなと思って作ったものが「いい」と言われたので、このまま続けていくのはしんどいかもしれないと思って、一度やめて。そこから音楽は趣味にしようと思って、就職をしたんです。

──そうだったんですね。

眞名子 2年ほど社会人をして、また戻ってくるんですけど。

──一度社会人をしてから音楽の道に戻るほうが大きな決意が要る気がします。

眞名子 そうですね。ただ実はその前に大学を1年留年していて、僕は「空白の1年」と呼んでいるんですけど(笑)、その1年で友だちと遊び尽くしたんです。大学で音楽を始めてからは、家でも学校でもずっとギターの練習をして、音楽中心の生活をしていたので、友だちとどこかへ行くとか何かをするということをほとんどしてこなくて。もちろん音楽が好きでやっていたから、全然苦ではなかったんですけど。で、いざ音楽から離れた瞬間に、友だちとひたすらゲームするみたいな、ただの少年みたいな時間がきて(笑)

──突然青春がやってきた。潜在意識のなかにあった、周りが羨ましいみたいな気持ちの反動ですね。

眞名子 本当にそうです。学校の授業が終わったらすぐにみんなで集まって、ゲームするみたいな(笑)。そんな1年を過ごして、就職してからも同期とそうした時間を過ごして、自分のなかでは結構満足して、やり切った感があったんです。その頃、先に東京に出て社会人をしていた兄(motoki manako)から「もう一回音楽やったらどう?」と言われて、僕もこの先のことを考えたら、音楽をしている自分のほうが好きだなと思ったし、何十年後かに会社の上司のようなおじさんになるのはちょっと違うかなと思って、もう一度真剣に音楽をやってみるかと思うようになり、兄と曲を作り始めました。

──それまでもお兄さんとは一緒に作られていたんですか?

眞名子 はい、大学生で音楽をやっている時から。3〜4曲目ぐらいからはずっと兄と共同で作ってきました。

──眞名子さんのことをよくご存知のお兄さんの後押しは心強いですね。

眞名子 そうですね。それが一番大きかったです。僕の音楽に兄がいちばん期待してくれていたみたいで。それで、もう一度信じてやってみようかなと思って。ちょうど仕事で東京への転勤が決まったこともあって、2022年のJ-WAVE「TOKYO GUITAR JAMBOREE」のオーディションに応募して、グランプリが決まって、両国国技館でライブができることになって。それもひとつの運命というか、真剣に音楽をやろうかなと思ったきっかけになりました。

──お兄さんとはずっと仲が良かったんですか?

眞名子 仲良いですね。小さい頃はそんなでもなかったんですが、僕が音楽を始めて、家でも自分の気持ちを開示するようになってから。もともと、外ではひょうきんなキャラクターだったんですが、ひねくれたところがあって、自分の気持ちを家でしゃべるのはダサいとか勝手に思ってた人間で…(笑)。

──ちなみに、開示のきっかけは…。

眞名子 中学高校は結構偏差値が高い学校に通っていたので、兄からすると“こいつは頭がいいから家では何も言わないけど、いろいろ考えているだろう”と思っていたらしいんです。ただ大学受験のタイミングで、“お前は将来について考えているのか”みたいな話し合いを家族でした時に、僕があまりに何も考えてなくて、兄も“こいつ、バカなのか…?”となったらしくて、そこから徐々に…。

──お兄さんが眞名子さんの人生に介入し始めた(笑)。

眞名子 そうです、そうです(笑)。そこから僕も自分ってバカなんやと気づき始めて、プライドもなくなったのですべて話すようになって、「音楽をやりたい」ということも言ったから、兄としてはまた心配になったんだと思います。

──高校3年生の時に、そんな重要な家族会議があったんですね。

眞名子 受験期の大事な話し合いで、それから初めて自分の将来を考え始めました。それまでは小学生の頃からサッカーをしていて、なんとなく塾に行きながら部活のサッカーを続けてきたのですが、“自分が本当にやりたいことはなんだろう”と考えた時に、ずっと歌うことが好きだったなと思って。歌に関してはちょっと変な自信があったので、大学に受かったら音楽をやろうとは考えていました。