FLYING POSTMAN PRESS

クリエイターを繋ぐ対談連載CREATOR × CREATOR

異なるフィールドで活躍する若手クリエイターふたりがモノ作りの楽しさや面白さ、大事にしていることなどを語り合う本連載。第24回のゲストは、俳優としてのみならず映画監督としても才能を発揮する須藤蓮×須藤蓮を中心とした多様な創作活動=FOLに参加するひとりで、須藤蓮が監督した映画『逆光』や『ABYSS』では撮影監督を務めた須藤しぐま。

Vol.24映画監督・俳優・須藤 蓮 × 撮影監督・須藤しぐま

  • 須藤 蓮
  • 須藤しぐま
おふたりが一緒に創作するようになった経緯とは。

「僕が俳優になる前、雑誌のオーディションを受けていた頃にしぐまさんがSNSに載せていた写真を見て、格好いいなと思って“同じ須藤ですね”と連絡したんです。その時からしぐまさんは自主映画を撮っていたんですけど」

しぐま「超自主映画です。予算3万ぐらいの」

「脚本も撮影も編集も照明も音楽も全部しぐまさんがやるんですよ。で、毎年、ぴあフィルムフェスティバルの締め切り1カ月前から慌てて準備し出すという」

しぐま「今年も1カ月前から始めました」

「そのしぐまさんの自主映画『ブラスター』にメインキャストで出たのが最初で。兄弟の話なんですが、これがたまたま良くできまして」

しぐま「たまたまな(笑)。須藤蓮がまだ役者でもなかった頃に友だちになって。須藤蓮はそこから役者になるわ、『ワンダーウォール』で出会った渡辺あやさんに脚本を書いてもらうわ、自分が映画監督になるわ、枠を超えていろいろやり出して。アホでオモロいひとりの人間をそばで見ているのが本当に楽しいですね」

その後、蓮さんが監督した映画『逆光』(’21)でしぐまさんが撮影監督を務められた。振り返るとどんな創作でしたか。

しぐま「僕、自分の映画は感覚的に作っていて。“自分さえ理解できればいい”というものだったところから、『逆光』では監督の須藤蓮をはじめ、録音部、照明部、俳優部…いろんな人たちと共有しないといけなくなった。そこら辺は初めての感覚でしたね。あと、『逆光』は渡辺あやさんの脚本ありきの映画でしたから。僕らなりにあやさんの脚本を解読しながら、同時に“渡辺あやをぶっ壊せ”というところもあった。あやさんの脚本を撮る時に絶対にしなさそうな面白いことをしようと、真面目に遊んだところがあります」

「あんなにいい脚本で映画を撮れるチャンスはそう多くなくて」

しぐま「それまでは僕のうんこ脚本やったしな(笑)」

「しぐまさんの適当な脚本はそれはそれでいいんだよ(笑)。いい脚本があればいい映画に仕上がるとは限らないわけだし。とは言え、脚本という土台がしっかりしている中で映画を作れるのはやっぱり格別で。『逆光』の時は“なんかすごい脚本をもらえた。面白いことになるかも”という期待を胸にしっかりと準備ができた。1週間ぐらい、舞台となる尾道をふたりで歩き回ってロケハンしたりして」

しぐま「したな」

「振り返ると、しぐまさんは『逆光』の撮影では何を意識していたの?」

しぐま「…」

「何も意識してへんやん」

しぐま「してへんな(笑)」

「しぐまさんって本当に頭を使わない人なんですよ。一方で美意識はすごく高くて。あと、しぐまさんもあやさんもそうですが、僕の尊敬する人たちは簡単に人の作品を褒めないんです。特に自分の分野では。しぐまさんも簡単には“いい画”と言わないですね」

では、しぐまさんがこれまで観た中で最も“いい画”と感じた映画は?

しぐま「ジャ・ジャンクーの『ブラットホーム』(’00)は、“俺もこの映画はこう撮るな”という一致感があって。メッチャ広角で撮ったり、変なアングルで撮ったりすると格好良くおしゃれに見えやすいんですが、『プラットホーム』の画はそういうものではない。奇をてらわずロングショットやフィックスで撮りながら、いろいろ収まっている。人物の置き方もうまいと思いますね」

“一枚絵としての美しさや奇抜さ”を求め過ぎると、時に物語への没頭感を損ねたりもするものですが、『逆光』の映像はちゃんと物語る手段になっていますね。

「ありがとうございます。脚本を読み解き、ロケーションを大事にして撮りつつ、観る人の物語への没入感が崩れないぐらいの調和を保つ。多分、それも監督の仕事のひとつなんだろうと思います」