Vol.23映画監督・金子由里奈 × 俳優・文筆家・電線愛好家・石山蓮華
「創作に伴う責任と向き合わないといけないと思っている」(金子)
石山さんは金子監督の新作『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(以下:『ぬいしゃべ』)を試写でご覧になったとか。感想をお聞かせください。
石山「ぬいぐるみという無機物を相手に深く語れることがある。そういうことを映画として描く面白さ、やさしさ、包み込まれるようなあたたかさを感じました。それと並列して人間同士の会話の別次元の重みも描かれ、素晴らしかったです。なかでも、映画に登場するぬいぐるみサークル(以下:ぬいサー)の部員のひとりが、“話の流れでレズビアンだとカミングアウトすると、その場で使われる言葉が急に減る”と話すシーンが印象的で。私自身も似たような経験をしたんです。事実婚をする予定があるのですが、その場の話の流れで結婚すると伝えると“おめでとう! 入籍はいつ?”と聞かれるんですね。で、私が事実婚にすると答えると、すごく尊重してくださるんです。でも同時に、その場で使われる言葉が急に少なくなったとも実感することになって。多数派に当てはまる異性のカップルであっても、結婚の形式が少数派の選択になるとこんな感じになるんだと。あのシーンを観てその経験を思い出しましたし、私自身も多数派として聞く時に“ただ受け入れる”ことをしきれていないと気付き、ハッとしました」
金子「あのシーンは原作小説では2行ほどの描写ですが、印象に残るものにしたいと思っていました。さまざまなアイデンティティの差異や揺らぎはあると思いますが、私自身もマイノリティの側面を持った友だちに対して“尊重しよう”と意識したりするんです。その気持ちはどこから来るのか考えました。もっと言うと“尊重しよう”と意識すらしない社会になるのが理想なのではないかと。今はその過渡期にあると思いますが、だからこそまずは“尊重しよう”と意識していることを自覚してもらいたい。そう思ってあのシーンを作りました」
石山「他にも、どの部員にも自分の経験と照らし合わせて“わかる”と思える瞬間や、“これは知らなかった”と気付かせてもらえるような瞬間があって。他人の物語を観ながら、同時に鏡が向くように自分のことが見えるようなことも度々ありました。また、俳優さんたちのお芝居に嘘がなくて素敵で。俳優さんたちとはよく話し合われたと思いますが、例えばどんな話を?」
金子「例えば、ぬいサー副部長の鱈山役の細川(岳)さんとは、鱈山がぬいサーの部室をどう作っていったのかと一緒に想像していきました。鱈山は“社会的な事象とどう距離を取っていいかわからない”という悩みを抱えている。それを体現するとなると一歩間違えれば重過ぎる役になってしまうと思っていたので、そうはならないようにと。 “鱈山は時間をかけてこの場所を作った。それってすごい人だね”と細川さんと確認し合った結果、映画の鱈山像ができていったんです」
石山「文化祭で部員の手作りのぬいぐるみを展示しようとなり、鱈山が悩みに悩んで、結局ぬいぐるみではなくポケットひとつだけ出品するじゃないですか。あのポケットには嘘がないですよね。彼なりの誠実さ、社会との向き合い方が現れているように感じました」
金子「鱈山は“ここに耳を付けたり、ここに笑う表情を付ける”ということにどうしても責任が持てず、結局ポケットになってしまう。創作には責任が伴うものだから。私もその責任と向き合わないといけないと常々思っているので、鱈山の気持ちはすごくわかります」
石山さんも“創作には責任が伴う”と実感することはありますか?
石山「常々実感しています。例えば、私自身が女性として生きてきて社会的に難しい立場だと思うことが多いからこそ、俳優として女性を演じる時には“作品の中であっても、リスペクトの感じられない描かれ方をする女性を生まないように”と思い、取り組んでいます。女性として生きる立場から脚本を深く考えてみる。その上で監督とたくさん話し合い、現場でいろいろとトライさせてもらう。そういう、俳優の私でもできることはこれからも責任を持ってしていきたいです」