クリエイターを繋ぐ対談連載CREATOR × CREATOR

異なるフィールドで活躍する若手クリエイターふたりがモノ作りの楽しさや面白さ、大事にしていることなどを語り合う本連載。第13回のゲストは、突然いなくなった親友と向き合う女性の姿を描いた映画『やがて海へと届く』の中川龍太郎監督×4/20に2ndアルバム『our hope』のリリースを控える羊文学の塩塚モエカ。

Vol.13映画監督・中川龍太郎 × ミュージシャン・塩塚モエカ(羊文学)

  • 中川龍太郎
  • 塩塚モエカ

「自分が歌っていることが支えに。“歌えばいいんだ”とわかった」(塩塚)

「100年後の誰かが観た時、ひとりでも感動できるものを作りたい」(中川)

中川監督は羊文学の2ndアルバム『our hope』を聴いていかがでしたか?

中川「やっぱり、時代の空気をすごく掴んでいるなぁと思います。なかでも『光るとき』はこのタイミングで聴いて涙が出ました。<あの花が咲いたのは、そこに種が落ちたからでいつかまた枯れた後で種になって続いてく>という歌詞が感動的でした。こじつけるわけではないのですが、今、ウクライナで戦争が起きている。戦争が始まったばかりの頃の報道で、あるウクライナのおばあさんの動画を見たんです。ウクライナはひまわりが名産らしく、おばあさんはロシア兵に向かって言うんです。“ひまわりの種をポケットに入れておきなさい。あなたが死んだらその種が花を咲かすだろう”と。その報道を見た時、ふと『光るとき』のこの歌詞を思い出しました。こういう言葉や感性が直接的に何かを止めることができるかどうかが問題なのではなく、その感性そのものが存在できること自体が尊いと思いました。そう信じなければいけない時代になってきていると思いますし、また、そういうことを想定して作られていない曲が結果的にそうなっていることがすごいなと思います」

塩塚「5年ほど前、YouTubeに上げていた『春』という曲のMVを消したことがあって。その時にウクライナの方から連絡をもらったんです。“ウクライナでは羊文学の曲はYouTubeでしか観られないから、『春』のMVを買わせてもらえないか”って。それでその方に『春』のMVをプレゼントしたんですが、今回の戦争が始まってからその方からまたメールをいただきました。“あの時のMVを今大切に観ていて、こういう状況ですごく支えになっている”と。それがすごくうれしかった。私は日本にいて自分の身の回りのことで精いっぱいで、ウクライナに行って何か助けとなることをする…みたいなことはできないでいます。でも、自分が歌っていることが、遠くでギリギリの状況にある人の支えになっているんだと。“歌えばいいんだ”とわかったんです」

中川「遠くで何かをすることができなくても、自分の場所に踏みとどまってできることを誠実にやる。それでいいと思うんです。そこで生み出された曲がそうやって“越えていく”こともあるんだから。『やがて海へと届く』でも童歌を使っています。地震が起きて津波が来るというのは、100年おきに起こってきたこと。悲劇が起きた時、人間はそれに対する防御策を考えますよね。童歌というのはそのひとつだと思っていて。つまり、喪った人たちのことや自然を歌で語り継いでいくというもの。歌はある意味、死に対抗する方法だということ。モエカさんの話を聞いて今、そう改めて思いました」

最後に、おふたりがモノ作りする上で最も大事にしていることを聞かせてください。

中川「芸術は種みたいなものだと思うんです。世に出たその瞬間に花開くだけではなく、未来に向かって花開いていくものだと。どんな小さな作品でも、個人の日記でも、個人の撮った写真でも、いつかそれが誰かの目に触れた時に“何か”を想起させることができれば、それは作品と言って良いのだと思います。自分の作品がどれだけのものになれるのかはわかりませんが、100年後の誰かが僕の作品を何かの間違いで観た時、ひとりでも感動できるものを作っていきたい。そこを大事にしていきたいです」

塩塚「私は自分の気持ちを大事にしたいです。ロックをやりながらメジャーのシーンで活動していると、雑念が入ってきてしまうものです。売れるためには…とか、人にどう見えるんだろう…とか。でも結局のところ、人がどう思うかは自分にはわからない。だから私は自分が本当にいいと思ったものを、自分が本当に愛せるものを丁寧に作り続けていきたい。そうして作ったものに共感してくれる人がきっといるはずだと信じています」