FLYING POSTMAN PRESS

クリエイターを繋ぐ対談連載CREATOR × CREATOR

異なるフィールドで活躍する若手クリエイターふたりがモノ作りの楽しさや面白さ、大事にしていることなどを語り合う本連載。第3回のゲストは新世代の歌人として活躍する木下龍也×ソロシンガーとしてはもちろん、話題のバンド、Cody・Lee(李)のメンバーでもある尾崎リノ。

Vol.3歌人・木下龍也 × ミュージシャン・尾崎リノ

  • 木下龍也
  • 尾崎リノ

「そこに“驚き”があれば、想像力が広がる。常にその驚きを求めて彷徨っているのかも」(尾崎)

木下「僕もひとつの映像から、思い出を掘って書くことが多いです。すべてフィクションだと歌として弱く、あまり反応も良くない。フィクションだとしても、固有の体験をひとつ入れておくと届く力が強い気がします。思い出って映像で、もともと言葉ではない。だから、言葉にする時はなるべくそこに齟齬がないように意識しています。『その点滴がはずれたら』の歌詞は、すごく短歌的だと感じました。動きのある映像として頭に浮かぶように作られていて、“見立て”の表現。それはいい短歌の条件でもあるんです。尾崎さんは短歌もお上手だと思います」

尾崎「ありがとうございます。この曲は、いつも病んでるアピールをするとても嫌いな女の人を美化して書きました」

木下「捻れてますね(笑)。でもベクトルで言うと、好きも嫌いも同じぐらい力があるから書き方としてはアリですよね」

では、おふたりが感じる言葉を扱う怖さとは?

木下「嘘に慣れていくことですね。定型が31音なので、書きたい感情や風景を圧縮するんですが、全部は取り込めず、必ず溢れ出る部分がある。(短歌を)作れば作るほど鈍感になっていくというか。今は仕事として短歌を作っているので、本来の自分の感覚とズレていても、“詠んだ時に伝わるほうを優先”が多くなります。時に、そこは怖いところではありますね」

尾崎「私はSNSがすごく苦手で。Twitterとかをマメにやらないと発信できない時代ですが、何気なく発した言葉でも人によって感じ方が何万通りもあるじゃないですか。そこが怖いです。それに比べると、歌詞はメロディも歌も付くので守られているから吐き出しやすい。歩いていてパッと思いついたことを呟かずに引っ込め、それをメロディに納める形で丁寧に磨いて削って歌詞にします。基本的に言葉は怖いと思ってますが、余程じゃないと歌詞は炎上しないのでみんな歌えばいいのに(笑)」

木下「短歌は基本、書いていることが全部自分のことだと思われるので、そこはやはり気を使うというか。意図して誰を傷つけようと書かなければいいんですが、そこは音楽とは違いますね」

尾崎「木下さんは、炎上とか他人からの見られ方とかをあまり気にされない方なのかと思ってました。やさしい短歌もありますが、本のタイトルも『天才による凡人のための短歌教室』だったり。核は尖っている方なんだろうなって」

木下「この本のタイトルは、最後の最後まで悩みました。でも『木下龍也の短歌教室』ってタイトルよりは手に取ってもらいやすい、より届けられるかなって思ったんです。本当は臆病ですよ。また、短歌はシンプルだからこそ怖いという意見もよく聞きますが、その感覚も麻痺するというか。その麻痺する感覚も我ながら怖いなって思うけど(笑)」

尾崎さんはどんな時に歌詞を書きますか?

尾崎「面白いなって思った単語とかはメモするようにしています。最近だと“中央分離帯”。例えば真夜中、車がそんなに走ってないのに中央分離帯に取り残された人とか、信号を待って佇んでいる人とか。そのワンシーンからいろいろと物語が生まれそう。だから、言葉ひとつから曲を作ることもあります。そこに“驚き”があれば、いろんな想像力を広げていけますね。常にその驚きを求めて彷徨っているのかもしれないです」