FLYING POSTMAN PRESS

水上恒司『本当にあった話(の話)』

演じる側の意図が透けて見えないように

──武井監督が手がけられた脚本の魅力をどう感じましたか。

水上 何より、着眼点がすごいと思いました。これだけ情報が溢れかえる時代を生きていると、何を信じていいのかわからなくなったりするものですよね。何かひとつ、信じられる確かなものが欲しいと思ったりする。この作品では、何をもって自分がそこに立ち続けられるか、というところ描いているのかなと。ただ、信じられる確かなものを見つけられたとして、それが独りよがりの思い込みである可能性もあるものですよね。 “自分はこう思うけど、本当なのかな?”と、常に懐疑心を抱かないといけないと僕は思っています。それが大人になるということなのかもしれないと思うので。

──武井監督とは撮影前に脚本を読み合わせながら、夛田役についてイメージを共有されたそうですが、具体的にはどんな話があったのでしょうか。

水上 武井監督とは作品のことから、お互いのことまで、たくさんお話しさせてもらいました。作品について武井監督が話されたことでいちばん印象に残っているのは、「ジム・キャリーとか、ホアキン・フェニックスとかが狂気に駆られた人物を演じるような作品の質感に近い」というもの。そのイメージに寄せて演じてほしいという話ではなく、あくまで、作品全体の質感の共有というところで出された例だと思いますが、腑に落ちるところがあって。それで僕も、“そういう質感をめざすには、こんな感じの芝居がいいんですかね”など、いろいろ提案させてもらいました。ただ、いろいろと演じ方は考えましたが、“観る人を怖がらせたい”とか、“観る人に不気味に思ってもらいたい”とか、そういう演じる側の意図が作品から透けて見えないようにしたいとも思っていて。何かの作品を観ながら演じる人の意図が透けて見えると、その瞬間にちょっと冷めてしまうことってあるものですよね。自分が観る側に立った時、そこはすごく気になるところなので、気をつけようと思いました。今振り返ってみると、極めて自由に表現できたと思います。夛田は人間の異常性みたいなものを表現できる役というか。いや、異常性というと語弊があるかもしれないですね。時と場合によっては、人間味や人間臭さとして伝わるものでもあると思いますし。でも本当に、クランクイン前に武井監督と夛田という役について議論する場を持てたこと、そこで武井監督の思いを聞けたことは大きかった。武井監督とご一緒できて良かったとつくづく思います。