CINEMASPECIAL ISSUE
照屋年之監督映画『かなさんどー』
“苦しい”と“楽しい”がある映画作り
──『かなさんどー』を観て、誰かを許すことは愛することだと思いました。
照屋 そこは娘の美花役の(松田)るかちゃんと話しました。僕が「美花は最後、お父さんを許したのかな?」と聞いたら、るかちゃんは「許してないような気もする」って言うんです。演じていてそう思ったと。「結局は許しきれなかったけれど、でも美花はやりきったような気がする。亡くなったお母さんのために」とるかちゃんが話すのを聞いて、脚本を書いた僕自身、“あ、そうだな”と思ったんですよね。お母さんとのことをいい思い出のままにしてお父さんに死んでいってもらわないと、お母さんが浮かばれない。美花は確かにそう思っただろうと。脚本を書いた僕自身が主演俳優に気づかせてもらうこともあるんですよ。映画という総合芸術の面白いところだと思いますね。
──撮影現場でもご自身の想像を超える瞬間がたびたび訪れるわけですよね。
照屋 そうです。そこが面白いんです。美術部、照明部、撮影部と、スタッフたちは脚本を読んでそれぞれ感情移入しているわけです。例えば、母親の部屋にものすごい量の花が用意されていて、「いやいや、花が多過ぎるよ」と言ったら、美術のスタッフが「いや、彼女は花が好きなんです」と引かないんです。ダメなものはダメだと言う時もあれば、いいものはいいで採用する時もあります。プロフェッショナルのこだわりって面白いですよ。思いもよらなかったことが出てきたりすると、“ああ、みんなで映画を作っているなぁ”と実感しますね。
──キャストの演技がご自身の想像を超える瞬間もあるのでは?
照屋 たくさんあります。例えば、真剣に言うと思っていた台詞をちょっと笑って言ったりするんです。「あ、ここは笑うんだ。これもありだな」と思ったりしますね。そういうものは柔軟に採用していっているほうだと思います。
──『かなさんどー』の現場においてキャストの演技が想像を超えた瞬間は?
照屋 浅野忠信さんが演じた父の悟が、舞台となった沖縄の伊江島のシンボルである伊江島塔頭を見ながら嘘の話をするシーンがあるんですけど、あの話し方は浅野さんがご自分で作られたもので。妙に心地良く面白く、すごくいいなと思いましたね。あと、堀内(敬子)さんに演じてもらった母の町子が娘の美花と台所でやり合うシーン。あそこはたまらなかった。見事でしたね。僕が「カット」と言った瞬間、全スタッフが拍手していましたから。堀内さんだったからこそ、町子という役ができたと思っています。堀内さんはあたたかくてやさしくて、また本当に可愛いんですよ。スタッフは全員堀内さんに惚れていましたから。照明のスタッフなんて堀内さんをきれいに映したいがあまり、照明を強くするんです。その結果、堀内さんの顔が白く飛んで、僕が「ダメダメダメ!」って(笑)。
──キャストに演出をつける際にはどんなことを大切にしていますか。
照屋 演じてもらう登場人物の始まりからすべてを説明するんです。この人はこう生きてきて、妻のことはこう思っていて、娘とはこういう仲になってしまったけれども…とその役の心情を丁寧にしつつ、「だからこの台詞をここで言うんですよ」と。そうするとみなさん、納得してくださいますね。
──編集段階はいかがでしょう。編集室は映画ができあがる場所とも言えますが、作業中は気持ちが上がるものですか。
照屋 いやいや、おかしくなりそうです(笑)。狭い部屋に編集マンとふたりっきりで詰めるわけです。「ここもう1回。半秒切って」「わかりました。もう一度流します」「うーん、もう2コマ切ろうか」みたいなやり取りを延々と繰り返すわけです。1分進めるのに1日平気でかかりますから。でもね、映画のクライマックスあたりまで進むと「いいよいいよ、いい感じだよ」と楽しくなるんだ。映画作りはどの段階でも“苦しい”と“楽しい”がどちらもありますね。アメとムチがどちらもある。脚本作りなんて本当に苦しいんですよ。何も浮かばずひとりで悶々とする時間が多いんだけれど、いずれ物語が流れ出すと一気に“楽しい”となる。脚本も撮影も編集も、ムチだけじゃつらくなってきたという時にアメが出てくるんですよね。で、映画が完成したら大量のアメしか残っていない。その糖分をエネルギーにして次の作品へと進んでいくという感じです。