CINEMASPECIAL ISSUE
『君の忘れ方』坂東龍汰の映画作り
喪失と再生を描く映画『君の忘れ方』 俳優・坂東龍汰が映画作りに没頭した日々
国際映画祭で数々の賞を受賞し、第79回ヴェネチア国際映画祭VENICE IMMERSIVE部門の正式招待を果たしたVR映画『Thank you for sharing your world』(2022)で注目された作道雄が監督と脚本を務める映画『君の忘れ方』。死別の悲しみとどう向き合うのかをテーマに、恋人を喪った青年が悲嘆に暮れる人々に寄り添う<グリーフケア>を知り、自らと向き合う姿を描いている。といっても、感傷をあおるような映画ではない。“足す”ことよりも“引く”ことに重きを置き、観る側はその余白に想像をかき立てられ、さまざま感じ取ることができる。
本作で結婚間近の恋人を亡くした主人公の昴を演じ、映画単独初主演を飾るのは坂東龍汰。脚本や演出同様に、やはり引き算の美学がにじむ演技はどんな姿勢から生まれたのか。作道監督やプロフェッショナルな映画職人たち、確かな演技力を持ったキャスト陣と共に、映画作りに夢中になった日々を振り返る。
写真:小田原リエ スタイリング:李 靖華 ヘアスタイリング&メイクアップ:後藤 泰(OLTA) 取材・文:佐藤ちほ
映画館で観たい映画
──喪失と再生を描いた映画は数多くありますが、本作のように描いた日本映画はあまりなかったように思います。感傷や説明を極力省きつつ、人間をちゃんと描いているので心が動かされる。湿り気が少なく渇いた感じがするのも良かったです。
坂東 うれしいです。ありがとうございます。僕も作道(雄)監督が書いた脚本を読んだ時、今おっしゃっていただいたようなことを感じました。構成や余白の使い方が今まで読んだことがない感じだなと思って。また、登場人物一人ひとりにちゃんと物語があるし、ミステリー、ヒューマンドラマ、ラブストーリーもある。この情報だけ聞くと盛りだくさんのように感じるかもしれませんが、作道監督がうまく引き算しているのでまったく“トゥーマッチ”ではないんですよね。素敵な脚本だと思いました。この脚本を作道監督がどう映像化していくのかに興味があったし、この物語で昴という主人公を演じてみたいと思いました。
──おっしゃる通りで、作道監督の引き算の美学を感じます。
坂東 決して劇的にし過ぎないという。作道監督が思い描いていた、トーンや空気感、匂いが画に出ていて、自分が出た映画ですけど、試写で観た時にすごく感動しました。現場で昴を演じている時に芽生えた感情や感覚、熱以上のものを、完成した映画を観た時に得られたんです。実はそういう経験ってなかなかできないもので。こういう映画だからこそできた経験なのかなと思ったりしました。
──こういう映画だからこその劇場体験、ということですよね?
坂東 そうです。例えば、『ワイルド・スピード』(2001)のような作品を映画館で観た時の劇場体験。あの迫力ある映像と音を体感できるというのも、やっぱり映画館だからこそだと思います。一方で『君の忘れ方』のような静かな映画も、やっぱり映画館で観るとひと味違うものがあると僕は思っていて。テレビ画面やデジタルデバイスを通して観ても感じられないものを、映画館で観た時には感じられる。微細な熱量や悲しみ、痛み、おっしゃっていただいたような渇き感も、映画館という空間で観るからこそキャッチできるものがあると思うんです。僕としては『CLOSE/クロース』(2022)や『aftersun/アフターサン』(2022)を観た時に近い印象を抱きました。大迫力のエンタテインメント映画とはまた違う方向ですが、映画館で観たい映画になったと思います。
──『CLOSE/クロース』を撮ったルーカス・ドン監督も、『aftersun/アフターサン』を撮ったシャーロット・ウェルズ監督も、作道監督と同じ30代の映画監督です。
坂東 若い世代の映画監督の感性が出ている映画、今かなり勢いがありますよね。『CLOSE/クロース』も素晴らしかったです。親友を喪った少年が「おなかが痛い」と食卓で泣き出すシーンを観て衝撃を受けて。というのも、本当にそうとしか見えなかったので。“この子の親友は本当に死んでしまったんだ、そのことによってこの子はこれだけ傷ついたんだ”としか思えなくて。また、それを自分事のように感じて本当に胸が痛くなった。どんな演出をすれば、どんな撮り方をすればこうなるのかと、つくづく考えてしまいました。正直、答えはいまだにわかりません。どうしたらああいう映画を作れるのか僕は知りたい。だとしたら、これまでと同じことをしていたらダメだなと。何か新しいことに常に挑戦していかないと、世界に負けてしまうと思いました。『ライオンの隠れ家』で自閉スペクトラム症のみっくんを演じていた時も、そんなことをずっと考えていて。それで、海外の作品で自閉スペクトラム症を扱った作品を観たりしたんです。視野を広くしないといけないと、今すごく思っています。
──愛する人を喪った昴を演じる上では、その悲しみや痛みを強調して伝える方法もあったと思いますが、坂東さんはそうはしていない。“余計なことをしない”演技がまた秀逸でした。
坂東 ありがとうございます。余計なことをしないというのは確かに意識していたところです。昴はわかりやすく表現しようと思えば、いくらでもできたと思います。“大事な人を喪って悲しい”という、そのひとつだけでキャラクターとしては強いというか、“なんでもない人”ではないわけですよね。でも、僕は昴をただ悲痛な人間にはしたくなかった。もちろん、大事な人を喪ってものすごく悲しいし、ものすごく痛いんです。でも、大事な人を喪った後も人は生きていかなきゃいけないわけで。その中でクスッと笑える瞬間があったり、ふといつもの母との会話のトーンが出たり。そういうものを出していくことで、周りからは“この人は何を考えているのかわからない”というふうに見えるのではないかと。そういう惹きつけ方ができるのかなと思っていました。“ここでこんな芝居がほしい”というものは作道監督の脚本には少なかったんですが、わかりやすくしようと思えばできるところはあったと思います。でも、あくまで昴としての主観に徹する中で気づいたら別の選択をしていた。そういう感じでした。
──今回の現場では客観視はしなかったわけですね。
坂東 はい。今回は昴の不安定な部分が映ったらいいなと思っていたので。なんならこの映画の撮影中、昴としていたからか、僕は結構混乱していました。それは作道監督も同じで。混乱し、赤ちゃんみたいに無防備にさらけ出しているふたりが真ん中にいて、そんな僕らを包み込んでくれるプロのスタッフさんたちや、南(果歩)さん、岡田(義徳)さん、津田(寛治)さんがいて。みなさんがいてくださったからこそ僕は虚勢を張らなくて良かった。座長として強いふりをしなくて良かった。昴としてただただ素直に、ポツンと立っているうちに話が進んでいった。多分、迷惑をかけた瞬間もいっぱいあったと思います。でもみなさんが本当にあたたかく見守ってくださった。特に南さんは、僕が本当の息子かのように接してくれました。