- 手紙を書いた人
- ハッチハッチェル
- 手紙を受け取った人
- ネモト・ド・ショボーレ
- ハッチハッチェル
- ’67年、千葉県生まれ。'90年にデキシード・ザ・エモンズを結成し、その後、'06年に解散を発表。現在は、歌、バイオリン、ギター、バンジョー、ドラム、DJ、作詞・作曲など、多岐にわたって音楽活動を行っている。
- https://twitter.com/umahachi88
- ネモト・ド・ショボーレさんとの出会いを教えてください。
- 確か、新宿南口にあったライブハウスかな
- ネモト・ド・ショボーレさんとの第一印象。
- オシャレ
- ネモト・ド・ショボーレはどんな存在ですか?
- 友人
- お付き合いでの中で印象に残ってる出来事とは?
- 下北沢中の自動販売機の釣り銭を一晩中探して歩いたこと。そして、結局見つけた200円ぐらいでビールを一本買ってふたりで飲んだこと。あとは言えないことがたくさん…
- 音楽活動で印象に残ってる出来事とは?
- DJネモト・ド・ショボーレとして人気が出て、早朝のショーまでお客さんが残るようになったこと
- ネモト・ド・ショボーレさんのギターの魅力とは?
- ストレート、直球
- ネモト・ド・ショボーレさんの愛すべき部分、尊敬する部分とは?
- ポップなところ
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はっつぁん(こう呼ぶ友だちも今じゃ少なくなったと思う)、手紙ありがとう。
90年代の下北沢はまさに「俺たちの街」だったよね。
下北沢シェルターの真裏にあった(歩いて30歩!)、俺が住んでいた四畳半一間トイレ共同風呂なしアパート(今はもうない)。 遅い午後に目が覚めるとカギが壊れている俺の部屋に、当たり前のように勝手に上がりこんでマンガを読んでいるはっつぁんの姿。
そこからふたりであてもなく下北をぶらぶらパトロールするのが日常だった。
知り合いがバイトしてた古着屋を冷やかしたり、中古レコード屋の100円コーナーをひたすら掘ったり、駅前に座り込んで知り合いが通るとダラダラ話し込んだり、ふたりの所持金を合わせても一本の缶ビールしか買えなかったり。
毎週末のようにタダで入れてくれるライブハウスやクラブに潜り込んでは、DJのかける知らない曲でもヤケクソのように踊り狂ってたなー。毎週聴いてると誰の曲かも知らないのにキメの部分とかわかってきて、まるで“全部わかってますよー”って顔して曲のブレイクとかで変なポーズしてふざけまくってた。お客が少ないDJイベントでも死ぬほど踊って知らないお客さんのことも盛り上げて、「盛り上げ代」として店員からビールもらったりしてたよね(笑)。
そんな自堕落で無軌道な日常だったけど、「音楽」にだけはプライドを持って頑なに自分のスタイルで向き合っていたのも知ってたし、万人が聴いて良いと思うサウンドじゃなく、自分が聴いて楽しめるサウンドを作るっていう姿勢には、誰よりも影響を受けました。
はっつぁんがドラマーとしてメンバーになってくれた「ショボーレ・スリー」が、ある意味俺にとって今に至るいろいろなことのスタートだったと思ってるし、一緒に演奏するのがいつも楽しかったし、レコーディングで録音に対する価値観や方法論もいろいろ教えてもらったし、ラッキーなことに何枚かのレコードも残せた。
そんなこんなで、レーベルをスタートさせた時もたくさん関わってもらってすごく助けられたよ。
思い返してみても、絶望的に貧乏でデタラメで“どうやって生きてたんだろう?”って思うような生活だったけど、全部冗談だと思って笑い飛ばしてたよね。
俺にとっては、はっつぁんと過ごしてきたバカバカしくてクダラナかった時間のすべてが財産です。
人から見たらガラクタみたいなものかもしれないけどな!
お互いまだまだ死にそうもないし、きっと長生きすると思うから、ヨボヨボになった頃にまた下北沢のあの辺を一緒にぶらぶらしよう。
ネモト・ド・ショボーレ (DECKREC/BOOTREC/CHILDISH TONES)