- 手紙を書いた人
- アベジュリー
- (デキシード・ザ・エモンズ)
- 手紙を受け取った人
- ハッチハッチェル
- (デキシード・ザ・エモンズ)
- アベジュリー
- ’67年生まれ。'90年にデキシード・ザ・エモンズを結成。新宿や下北沢のライブハウスを中心に活動し、’97年にメジャーデビュー。その後、'06年に解散を発表する。現在は、ソロでの音楽活動を行っている。
- ハッチさんとの出会いを教えてください。
- 自身のバンドを組むために紹介してもらった
- ハッチさんの第一印象。
- ロックじゃないけど大丈夫かなぁ
- アベさんにとってハッチさんはどんな存在ですか?
- いろんなものと戦った戦友
- ハッチさんを表現するならどんな言葉が思い浮かびますか?
- ワッハッハー
- お付き合いでの中で印象に残ってる言葉とは?
- 『太陽にほえろ!』の石原裕次郎のまぶたが黒いことを尋ねた時、“眩しいからでしょ”と答えたこと
- デキシード・ザ・エモンズの活動で一番印象に残ってる出来事とは?
- モッズやガレージシーンに相手にしてもらえない中、一か八かでやった新宿JAMのワンマンにお客さんがいっぱい来てくれたこと
- ハッチさんのドラムの魅力とは?
- 豪放で大胆
- ハッチさんの愛すべき部分、尊敬する部分とは?
- 人に辛い姿を見せないところ
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“♪あの日あの時あの場所で君と出会わなかったら〜”なんつって。
誰にでもあの人に会わなかったら、人生は決定的に違っていただろうという人っているはず。
アタシにとってまさに君はそんな人だ。
ザ・フーやキンクス、スモール・フェイセスやウイルコ・ジョンソン、
そして背筋を伸ばして歩くことの大切さを教えてくれた。
当時の船橋にはいないタイプのファッショナブルさは
“つべこべ言う前になんかやれ”という暗黙の輝きに満ちていて
新鮮で魅力的だったぞ。
バイトを掛け持ちして買ったというミニクーパーは、
我が習志野台がロンドンに見えるほどかっこよかった。
モテない暗めの、しかも遅めの青春期を毎日のように一緒に過ごしたのは
“今考えると”果てしなく貴重な日々だったのだな。
バンドのラーギャーは分けずに打ち上げもせずに貯めていた。
君の発案だな。
その80万円を持って機材車を即金で買ったのが昨日のことのよう。
自分の若い頃のことを覚えてる人がいるというのはいいな。
“世界を旅する芸人”なんて言ってたのか…。
今君は50代中盤にはまったく見えないエネルギッシュさで
ちょっと変なロックンロールマンだ。
むしろこれからが楽しみだ、とアタシは密かに思っておるよ。