FLYING POSTMAN PRESS

アカデミー賞の主役になり得た名作

『ありふれた教室』が描く現代社会
『関心領域』が伝える無関心の恐怖
第96回アカデミー賞の注目作が公開へ

 第96回アカデミー賞では『オッペンハイマー』(2023)が主役としてスポットを浴びるも、実は近年まれに見る豊作期で、ノミネート作品の中には名作がいくつも存在した。そのうちの2本、『ありふれた教室』と『関心領域』が日本で公開へ。ヨーロッパの映画作家たちが人間の本質を浮き彫りにする。



浮かびあがる学校の<不都合な真実>
センセーショナルな社会派スリラー

 第96回アカデミー賞において国際長編映画賞にノミネートされたサスペンススリラー。監督と脚本を務めるのは、長編4作目の本作が日本で劇場公開される初めての作品となるイルケル・チャタク。ポーランド系ドイツ人の若手教師の視点から、ある中学校で発生した事件が予想もつかない方向へと進み、瞬く間に校内の秩序が崩壊していく様を描き出す。

 主人公の教師の極限の心理状態をリアルに伝えるのは、『白いリボン』(2009)で注目されたレオニー・ベネシュ。主人公が受け持つクラスの中心的存在であるオスカー役で鮮烈のデビューを果たしたレオナルト・シュテットニッシュをはじめ、生徒23人に選ばれた名子役たちも生き生きと演技を披露する。

 現代社会の縮図とも言える学校。教師、生徒、保護者それぞれの猜疑心が暴発し、正義や真実をのみ込んでいく様に胸がざわめく。


point of view

 学校が舞台、主人公は若手教師と聞いてパッと思い浮かべるような熱血ものでも、ハートフルな物語でもない。これは確かに極限のサスペンススリラー。それも、ギミックを駆使して“極限まで追い込まれる若手教師の心理”を表現しているわけではない。21世紀の社会の縮図である学校において“現実に起こり得ること”が、サスペンスとスリルを加速させていく。

 始まりは、若手教師の正義感だった。自分が受け持つクラスの生徒が校内で相次ぐ盗難事件の犯人と疑われ、その疑いを晴らそうと彼女は独自に犯人を探し始める。現実世界でもそうであるように、“正しさ”は時に火種となってしまう。主人公の若手教師の目を通して目撃するのは、まさにその状況だ。彼女の正義は他者の正義とぶつかり合い、聞こえてくる噂はその真偽を問う前に“第三者の正義感とデジタルツール”によって瞬く間に拡散され、事態は手に負えないものになっていく。

 現代社会のシステムやルールがいかに簡単に崩れ去るか。それを見事に炙り出したドイツの新鋭イルケル・チャタクの観察眼の鋭さとセンスに舌を巻く。


『ありふれた教室』

https://arifureta-kyositsu.com

2022年/ドイツ/99分 

監督・脚本 イルケル・チャタク
出演 レオニー・ベネシュ レオナルト・シュテットニッシュ エーファ・レーバウ ほか
配給 アルバトロス・フィルム

※5月17日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほかにて全国公開

©ifProductions Judith Kaufmann ©if… Productions/ZDF/arte MMXXII



隣りは、アウシュヴィッツ強制収容所
収容所所長とその家族の日々の営み

 第96回アカデミー賞において作品賞、監督賞、脚色賞、音響賞、国際長編映画賞にノミネートされ、音響賞と国際長編映画賞を受賞。イギリスの作家マーティン・エイミスの同名小説を原案に、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)を手がけたジョナサン・グレイザーが監督と脚本を担当。第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所の隣りで平和に暮らす収容所所長一家の日々の営みを描き出す。

 所長夫婦を演じるのは、映画のみならず演劇界でも高く評価されるクリスティアン・フリーデルと、同じく第96回アカデミー賞において作品賞をはじめ5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した『落下の解剖学』(2023)にも出演したザンドラ・ヒュラー。ドイツを代表する演技巧者たちが、悪魔とその妻を“人間”として演じ、観客の胸をざわめかせる。

 脚本、演出、演技がすべて一級品なのに加え、隣りで起きている悪夢を想像させる“音のデザイン”も秀逸。想像力の欠如と無関心が最悪の事態を招いてしまうことを、芸術的に肌触りリアルに伝える名作が誕生した。


point of view

 映画の冒頭、明るく幸せに休日を過ごす家族の姿が映る。その家族が、あの悪名高いアウシュヴィッツ強制収容所の所長ルドルフ・ヘスと妻のヘートヴィヒ、彼らの子どもたちだとわかった瞬間、肌が粟立った。

 ジョナサン・グレイザー監督はマーティン・エイミスの小説に出会い、その小説の片隅に記されていたルドルフとヘートヴィヒ夫妻に興味を抱き、アウシュヴィッツで彼らがどう暮らしていたかを調べ始めたという。調査期間は約2年。ホロコーストの被害者や生存者による何万もの証言もすべて調べていく中で、戦争を生き延びた庭師の「ルドルフが転勤することにヘートヴィヒが文句を言って激怒した」という証言を設定に組み込み、“傍観者的な虐殺”を映画のテーマにすることを思いついたという。

 本作でクリスティアン・フリーデルとザンドラ・ヒュラーが演じるアウシュヴィッツ所長とその妻の姿を観て抱く最も強い感情は、恐怖だ。隣りから聴こえてくる“音”から、悪夢が現実になっているのは明らかなのに、それを指揮する夫にも、妻にも本当の意味での当事者意識はない。その姿が“悪魔”というよりは“人間”に見えてしまうことが、心の底から恐ろしい。人間がいかに簡単に共犯者となり、悪の歯車になれるのか。無関心の罪深さを思い知らされる。

 見たいものだけを見ているばかりでは、やがては破滅が訪れる。今を生きる私たちこそ目撃したい光景がここに。


『関心領域』

https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/

2023年/アメリカ・イギリス・ポーランド/105分

監督・脚本 ジョナサン・グレイザー
原作 マーティン・エイミス「関心領域」(早川書房刊)
出演 クリスティアン・フリーデル ザンドラ・ヒュラー ほか
配給 ハピネットファントム・スタジオ

※5月24日(金)より新宿ピカデリー、TOHO シネマズ シャンテほかにて全国公開

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