FLYING POSTMAN PRESS

ビートルズの目に映った世界の熱狂

手作りしたテープでビートルズを布教

──安田さんがビートルズを好きになったのは中学生の頃とのことですが、リアルタイムではない中で、中高生時代はどのようにビートルズに触れていましたか?

安田 レコードなどからテープに録音して、仲良くなった友だちに「よかったら聴いて」と普及して、テープを交換し合ったりしていました。当時はBOØWYやユニコーンが全盛期で、クラスに一人ふたりビートルズが話せる仲間ができればもう十分でしたから。ギターが弾きたくて最初9800円のアンプ付きのギターを買ったんですが、僕がギターを持っていることを知った友だちに学校祭のために布袋寅泰さんのギターを覚えさせられて、ユニコーンの『SHE SAID』のイントロを弾かされて(笑)。「俺、ビートルズがやりたいんだけど」ってすぐにバンドはやめました。テープを作って渡す以外にも放送部に持って行って、昼の放送で流してもらったりしていました。

──しっかり布教活動されてますね。

安田 そうそう、ミーハーにやってました。もう僕の頃には英語の教科書にジョン・レノンの曲が載っていたんじゃないかな。ポール・マッカートニーがソロとして初来日するのが1990年なのですが、僕は北海道の片田舎にいて行けなかったので、当時のスポーツ紙を全紙買って、それをスクラップブックに入れて。全紙一面だったんです。それから図書館で1980年12月9日付けのジョン・レノンが射殺された時の北海道新聞をコピーさせてもらってスクラップしたり、そんなことばかりしていましたね。

──そこから約35年、今なお惹かれ続ける理由はどこにあると思いますか?

安田 他にないからじゃないでしょうか。例えばビヨンセが『Blackbird』を歌っていたりブッカー・T.がカバーしていたり、これまでものすごい数の人たちが楽曲をカバーしてきて、今日もまたビートルズは評価されています。ビートルズって、音楽史に残る人たちなんだと思います。

──アイドルと言われていたけど、完全にアーティストですね。

安田 最初は同じ衣装を着て同じ髪型をして歌って、もろにアイドルだった思いますけど、変わっていったんでしょうね。ジョージ・ハリスンが「僕らが過ごした7年半は1000年に値する」と言ってましたが、活動していた7年半にやりたいことが全部凝縮されています。最初のマネージャーになった人が、リバプールの喫茶店でたむろしていたジョンとポールは悪ガキだったと思い出話をしています。トーストにジャムを塗っているジョンに、ポールが「お前ジャムは1ペニーだぞ、大丈夫か」とジャムの1ペニーを心配していたというんです。労働者階級出身で公営団地に住んでいたポール・マッカートニーが、今や純資産10億ポンドのビリオネアです。こんなおとぎ話ないですよね。ジョンとジョージ・ハリスンは亡くなってしまいましたが、、ポール・マッカートニーもリンゴ・スターもまだ生きている。ということは、僕らはまだ同じ時代に生きているんです。バッハやモーツァルトとは一緒になれなかったけど、ポール・マッカートニーとは一緒になれているんです。だからこの写真展はファンでない方にもぜひ行ってみてほしいですね。


安田顕(やすだ けん)

1973年、北海道室蘭市出身。演劇ユニット・TEAM NACSメンバー。映画・テレビ・舞台を中心に活動し、硬派な役から個性的な役まで演じられる俳優として数々の話題作に出演。2024年7月、安田が企画・プロデュースする林遣都との二人芝居『死の笛』を上演、好評を博した

「ポール・マッカートニー写真展 1963-64~Eyes of the Storm~」
会場 グランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタル イベントラボ(大阪市北区大深町4-1)
会期 2024年10月12日(土)~2025年1月5日(日)
※休館日:12月31日(火)、1月1日(水)
開館時間 10:00~18:00(最終入場は17:30まで)
主催 ポール・マッカートニー写真展大阪実行委員会