FLYING POSTMAN PRESS

奥野瑛太が語る『心平、』と俳優業

“今”だけ重ねて生きていきたい

──全編を福島県で撮影されたそうですが、福島という土地からどんなことを感じましたか。

奥野 言葉にするのは難しいですね…。東日本大震災が起こった時、僕は何もできなくて。その後の経過をテレビだったり、ラジオだったりで追いかけていただけで、全然当事者ではありません。その後も毎年3月11日になれば東日本大震災のことが報じられるものの、時間が経つほどに軽薄化していくわけです。そんな中で、映画の撮影のために今回、福島県に行かせてもらった。二度と取り戻せないものがあるということを色濃く伝える場所であると同時に、そこには“東日本大震災後の生活”も確かにあって。立ち入り禁止区域のフェンスの近くでは放射線量を計りながら働いている警備員さんたちがいる。撮影の合間に大衆浴場のサウナに行くと、そこでは地元のおじいちゃんたちが「今日はあそこの現場だった」「高速道路が繋がってあそこは楽になった」なんて話していたりもする。こんなふうに今も昔もこの土地で生活している人がいるんだなと思いました。生きていくこと、生きていることが風景としてまざまざとあった。僕はそこで佇むだけしかできなくて。いや、佇むことさえ足が震えておぼつかないぐらいだった。個人的に何かをしようなんて思いつかないぐらいで。映画に映っていることで“心平としてあの場所にいさせてもらえたんだな”とは思いますが、それ以上言葉にはできないです。

──そんな東日本大震災後の福島を舞台にしながら、主題は“家族”であるという点も感じ入るところです。

奥野 はい、家族の話です。

──心平と父親が同じように廊下に服を脱ぎ散らかし、心平の妹のいちごに同じように叱られる。そんな何気ない光景に家族というものが映っているように感じました。

奥野 あそこ面白いですよね。小学校の同級生に知的障がいの友だちがいたんですが、言動がお父さんやお母さんにそっくりだったりして。で、親御さんに「恥ずかしいからやめなさい!」と叱られたりして(笑)。お父さん、お母さんの言っていることそのままなんだと気づいてハッとしたことを今思い出しました。家族ってそういうものですよね。

──また、心平といちごの兄妹の関係も印象的でした。いちごが一方的に心平の面倒を見ているようで、やはり心平はお兄ちゃんで、いちごの精神的支柱になっていると思えたりもして。

奥野 心平は「俺、お兄ちゃんだから」と思っている。妹が自分を心配していることはよくわかっている。それが言語化されないとしても、心配しているエネルギーみたいなものは誰よりも繊細に強烈に感じ取っていると思うんです。そして、その一つひとつに揺さぶられて、自分ではもう処理できないぐらいになっている。そんな中でも家族を大切にしたいと、とことんピュアに思っている人。そういう人ですよね。家族を思う気持ちは人一倍ある人だと思います。

──映画『心平、』を撮っていた時間は、ご自身にとってどんな時間だったと言えますか。

奥野 心平という人には“今”しかないと思えるくらい、“今”が強烈にあります。社会生活を送っていると、先々のプランを立てて上手に積み木を積み上げていこうという意識が起こりやすくなってきます。「今日はこれをして、明日はこうしよう、損しないように」とか、そんなふうにプランを立てて生きていっている。ある意味、映画の撮影もそういう時間軸にあります。その日撮るシーンが明確に決められていて、そのために準備して“このシーンは何時までに撮り終えないといけない”みたいなことがあるわけで。そんな映画の撮影をしているのにもかかわらず、“今、今、今”を重ねている心平を演じさせてもらったことで、今ここで起きていることがすべてであるという感覚でいたいなと思いました。多分、“今、今、今”を重ねていく心平の生き方のほうが、大切なものを見落とさないで済むのかもしれませんね。絶対的に今が楽しくて刺激的で、それしか考えられない。そんなふうにありたいと思い続けた撮影期間でした。