FLYING POSTMAN PRESS

近浦啓監督と森山未來の楽しい共作

対話して映画が動いていく

──森山さんは近浦監督と話すうちに紐解かれていった部分も大きかったとおっしゃいました。

森山 お話しした通りで、一読しただけでは難しい脚本で。時系列がすごく動く構造だからということもありましたが、僕としては何より、卓の気持ちがどう転がっていけばいいのかが見えづらいところがあったんです。父と離れて数十年経っている。それなのに突然、重度の認知症になった父と向き合わなければならなくなった。年齢を重ねて、卓は父という存在に対して落とし所を見つけたふうでもあり、クールに対応しようとする。同時にやっぱり父に対してのさまざまな思いはあるわけで。そして数十年ぶりに対話する父は認知症で、父の言葉の何が事実か、何が嘘なのかわからないんですよね。父が何を思っていて、実際に何があったのかというのが見えない中、父の再婚相手の女性が残した日記だけが手許にあるという…。このシチュエーションでどうエモーションを発露していくべきなのか。そこがすごく難しいと感じて。

──どんな話がヒントになったのでしょうか。

森山 啓さんのお父さんが認知症になった話とか、そういうパーソナルな話を聞くうちに見えてくるものが多かったです。そういった話を聞いてからか、聞く前だったかは記憶があいまいですが、衣装合わせがありまして。自分の中ではまだ、卓がどんな服を着たらいいのかもわかっていなかったのですが、なぜかその時、啓さんの服を着たらしっくりきたんですよ。サイズは若干僕より大きいものの、“この感じがいいよな”と思えるものだった。そういうところから少しずつ始まっていった感じがありましたね。啓さんという人間が見えたとか、そういうことではないんです。でも、啓さんの生活の断片を知ることで脚本が見えてきたというのは正直ありました。

近浦 本当に長く話したんですよ。僕のアトリエで5時間ぐらい。

森山 長かったですね。

近浦 今おっしゃったようなこと、卓がどういう立ち位置でどう感情を運ばせていけばいいのかを気にされていましたが、それ以上に映画全体を俯瞰しての話があったことに感銘を受けました。脚本は、森山さんにオファーした段階のものから結構変わっているんです。その始まりは、あの森山さんとの対話にあったように思います。森山さんと話して影響を受けて変わっていった部分が大きかった。例えば、劇中のワークショップのシーンはすごく変わりました。卓の背景を示すシーンはほぼあのシーンだけで、重要なシーンだったんです。「このシーンは映画の中でどういう位置にあるんですか? このワークショップは実際のワークショップですか?」などと森山さんに尋ねられたり、森山さんがこのシーンに対して抱いている違和感を話してもらったりする中で、森山さんから「本当の演出家を招いてワークショップをやってもらったらどうですか?」という提案があった。すごくいいなと思いましたね。呼ぶならどんな演出家がいいのかという話になって、森山さんがパソコンを開いて検索し出すんですよ。で、「この人に連絡してみる」って。そして最終的には、劇団Qの市原佐都子さんという素晴らしい演出家を招くことができた。あのワークショップのシーンは最初の脚本ではもっと平たいものだった。あのままだったら、この映画はだいぶ違うものになっていただろうと思います。

──森山さんは市原さんと面識があったんですか。

森山 一度ご挨拶をさせていただいた程度で。その頃ちょうど、岸田國士戯曲賞受賞を受賞されていたり、城崎国際アートセンター芸術監督就任のニュースが出ていたり、市原さんは名実共にアゲアゲで(笑)。彼女がどんなモノ作りをするのか、単純に僕が興味を持っていたんです。彼女にワークショップのシーンに関わってもらえたらすごく説得力が出るんじゃないかと思いましたし。市原さんという力のある作家と具体的なワークショップでプロセスを共有している。そういう見せ方ができると、卓という存在がまたひとつ担保できるのではないかと思ったんです。

近浦 ワークショップのシーンを撮影した日、おふたりの控え室は別にして撮影現場でようやく顔を合わせてもらって、「どうも」と挨拶するところから始まり、夜までワークショップを実際にやってもらったんです。プロデューサー役も含めて3人で本当にやってもらった。

──それをドキュメンタリーのように撮ったということですか。

近浦 そう、あそこはほぼドキュメンタリーなんですよ。最後の最後、もう撤収しないといけないというタイミングで僕が「映画用のカットを3カットだけ撮らせてください」とお願いして。その3カットだけは作って撮りました。その3カットとドキュメンタリー部分をマージして映画に取り入れた感じです。演出家の市原さんと森山未來演じる卓の議論が本当に1日中続いて、ものすごかったですね。撮影していて楽しかったですし、森山さんがいなければ絶対にあの形にはならなかった。僕としては、森山さんには映画を救ってもらったという印象があります。だから感謝に堪えません。