FLYING POSTMAN PRESS

三宅唱監督×シム・ウンギョン

その場にいるからこそ出てきたもの

──脚本家の李と、旅先で出会うべん造の間には初対面ならではの緊張感がありつつ、なんとも言えないおかしみもありました。“他者”同士の距離感や繋がりを描く上で大切にしていたこととは。

ウンギョン 撮影に入る前に、べん造役の堤(真一)さんと私のホン読み(※脚本の読み合わせ)がなかったんです。ふたりのスケジュールが合わなかった可能性もありますが、今思えば、三宅監督の意図だったのかなと。

三宅 正直、東京の会議室でシム・ウンギョンさんと堤真一さんを前にして僕があのおんぼろ宿を想像できるかと言うと、無理なんですよ。僕の想像力には限界があるんです(笑)。あの服を着て、あの囲炉裏があって初めて見えてくるものがあるだろうと思っていたので、自分としては事前のホン読みは不要かなと。李とべん造のシーンは山形の庄内地方で撮りましたが、山形に入ってから1日かけて宿の中のシーンのリハーサルをしまして。そのリハーサルも、その時間で正解を出すというよりは、あの場所に慣れてもらうぐらいの時間でしたね。

ウンギョン そうでしたね。

三宅 だいぶ変わったしね。リハーサルをやって、いざ本番を撮るとなった時、リハーサルの時とは別の部屋で撮ることにしたり。そういう意味では山形でのリハーサルも役に立たなかったのかな(笑)。いや、でも違いますね。役に立ちました。リハーサルを終えたその日の夜、“なんか違ったな”と思って、じゃあどうすればいいのかと考えられたわけですし。山形でのリハーサルもなしで即撮影だったとしたら、急には変えられなかったでしょうね。一度、みんなで一緒に失敗できたという意味でいい時間だったと思います。

ウンギョン 自分がその場にいるからこそ出てきたものは、やっぱりあります。例えば、アドリブもあったんです。「さようでございますか」と李がべん造に返すところがありますが、あの言葉はアドリブでした。

三宅 テストの時だったかな。

ウンギョン テストの時でしたね。ふと、“ここで、さようでございますか、とひとこと言ってもいいんじゃないか”と思いまして。それで言ってみたら、三宅監督がとても気に入ってくださって。

三宅 「さようでございますか」なんていい台詞、僕には書けないですよ。

ウンギョン この作品の場合、撮影の前にたくさんホン読みをしていたとしたら、そういう生き生きしたお芝居はできていなかったんじゃないかなと思います。

──“他者”同士の独特の距離感や繋がりは、その場で生まれたものだったんですね。

三宅 そうですね。ウンギョンさんと堤さんのふたりが作り出してくださったものです。少しだけ広げて話しますと、他人っていうのはやっぱり怖いと僕は思うんです。言葉では「仲良くしよう」と言っても、怖いものは怖い。でも、ずっと怖がっていてはきっと楽しくない。そういう自分の感覚はベースにあるかなと思いますね。この登場人物たちもそうだと思うんです。堤さんが演じたべん造に至っては、久しぶりに自分以外の人間に出会うわけですし、主人公の李は人間関係に疲れている、あるいは苦手である。そういう人同士が出会った時の、スリリングではあるけれど同時におかしくもあるという、あの感じはすごく楽しめました。ただ、あのバランスは実はとても難しくてリテイクもしたんです。ふたりが囲炉裏を囲んで話すシーンは、最初に撮った時は僕も楽しくなり、ちょっとやり過ぎてしまったんです。掛け合いになってしまった。その後、撮影が進んで中盤になってから「すみません、最初の囲炉裏のシーン、やり直したいです」と、みんなにお願いして。

ウンギョン 私も、最初は漫才っぽくお芝居してしまっていたところがありました。

三宅 ふたりの掛け合いがトゥーマッチで、べん造がどういう人物か全部初日にバレちゃったという(笑)。本当は徐々に徐々に彼が見えてくればいいのに。

ウンギョン そうでしたね。私もべん造に親しみを感じているというか、最初からそういう感情が出てしまっていました。

三宅 いやあ、リテイクできて本当にありがたかった。一緒に作れたという実感が強くありました。

──ウンギョンさんはリテイク後、どんな点を意識して演じていらしたんですか。

ウンギョン なるべく三宅監督と一緒にカメラマンが撮ろうとしているアングルを確認して。このアングルの中でどんなふうに動けばいいのか、相談しながら演じていきました。李というキャラクターで考えると、大きな動きをするとこの映画の邪魔になるんじゃないかなと思って。そのアングルの中でできるだけ何もせず、そのままいることが大事だったのかもしれないです。

三宅 あとは、ユーモアをどう作るか。こればかりは僕が脚本ですべてを書けるわけではなくて、どう演じてくださるかというところにかかっているので。撮影の序盤では、まず一度、少しオーバーでもいいというぐらいのユーモアを一緒に作り出してみたんです。それを見ながら、「ここはそこまで行っていいね。ここはアクセル踏み過ぎたかな」と、調整していった。そういうふうに試しながら、李という人が持っているユーモアや軽やかさを作れた。いったん作れた後はもう、どこに球を投げたらいいかウンギョンさんも僕もわかるようになって。最初に手当たり次第チャレンジできたのが良かったですね。それこそ、映画作りの超楽しいところだったと思います。