FLYING POSTMAN PRESS

“甲田まひる”という表現者

本場のジャズを学ぶため、中学で渡米

──FLYING POSTMAN PRESSのテーマは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。ここまで伺っただけでも楽曲はもちろん、すべてのクリエイティブに携わっている甲田さんがカルチャーからどんな影響を受けてきたのかとても興味があります。

甲田 私は仕事も趣味も、カルチャーを中心として生活が回っているので、“ない”ということが考えられないです。海外にも行って、本場のカルチャーを実際に自分の目で見るということも大切にしてきました。

──甲田さんがピアノを始められたのはたしか5歳の頃でしたよね?

甲田 そうですね。でも音楽より先に、幼稚園の頃から服が好きだったんです。おしゃれをしたくてしょうがなくて。小学生の頃も人と違うことがしたくて髪を染めたりピアスを開けたりしていました。

──その歳でそこまで音楽やファッションを好きな同級生ってなかなかいなかったのではないですか?

甲田 THE BLUE HEARTSが好きな子がクラスにひとりくらいいたかな。でも私は話が合うのはうれしいけど、基本は人と共感するより自分が好きだったらいいという感じでした。私が「好き」と言って相手が影響されてもそれは本当の好きかはわからないし、ファッションも真似されるのは嫌で、誰かと被ったらこっちが逃げるみたいな(笑)。

──参考にしていた人たちはいましたか?

甲田 それはいろいろいました。1960年代のファッションが好きになってツイッギーにはまったり、装苑やGINZAをずっと読んでいたので、冨永愛さんなど、そこに出ているモデルさんは好きでした。あと原宿のファッションにはまってからはきゃりー(ぱみゅぱみゅ)ちゃんも好きでした。私はファッションが奇抜過ぎて、今思えば電車で盗撮されたりもしていました。

──それも小学生の頃ですか!?

甲田 そうです。小学生の頃にはジャズピアニストになりたいと決めていたので、中学になったら英語と本場のジャズの勉強のためにアメリカに住みたいと母に話していて。でもお金がかかるので学校には入らずに、小6から始めたお仕事でお金を貯めてニューヨークのハーレムのアパートにお母さんと2ヶ月間だけ泊まりました。

──とんでもない行動力ですね。実際に暮らしてみて何を感じましたか?

甲田 “こっちに住みたい!”と思いました。“生きやすい!”って。例えば日本だと路上パフォーマンスに対してあまり投げ銭をする文化はないですが、ニューヨークでは通りかかったら見なくてもお金を入れて行く人たちがいて、価値観の違いにカルチャーショックを受けました。娯楽って要らないと言えば要らないけど、やっぱり生きるために絶対になきゃいけないものというか。その後帰国して、ジャズのアルバムを出すことが決まったんです。それが16歳の時でした。