FLYING POSTMAN PRESS

映画が描く社会と人、揺らぐ人生

入国審査の一部始終、軍事政権下の抑圧
社会によって人生が揺るがされる時

 アメリカに移住しようとするカップルが受ける入国審査の一部始終、軍事独裁政権に夫を奪われた女性の長きにわたる抵抗。社会によって人生を揺るがされた人々の姿を印象的に描く2本の秀逸な映画を紹介する。



その答えがあなたの人生を左右する
実体験から生まれた深層心理サスペンス

 ベネズエラからスペインに移住し、現在はバルセロナを拠点に映像作家として活動するアレハンドロ・ロハスとフアン・セバスチャン・バスケスが共同で監督と脚本を担い、彼ら自身の移住時の実体験から着想を得て生み出した深層心理サスペンス。撮影期間はわずか17日間、製作費も65万ドルと低予算ながら、SXSW映画祭2023に正式出品され、第39回インディペンデント・スピリット賞では新人作品賞・新人脚本賞・編集賞ノミネート。さらに北欧最大の映画祭である第26回タリン・ブラックナイト映画祭で新人作品賞を受賞するなど高く評価され、監督デビュー作にしてその才能を世界に広く知らしめている。

 物語の主人公は、移住のためにバルセロナからニューヨークへと渡った事実婚カップルのディエゴとエレナ。ビザも取得して準備万端のはずがなぜか入国できず、別室に連行されて尋問される中で、これまでは見えていなかったものが見え始め、人生が揺るがされるさまをリアリティとスリルたっぷりに映していく。

 気弱に見えて得体の知れない影をにじませるディエゴを演じるのはアルベルト・アンマン。異国でパートナーの別の顔を知ることになるエレナにブルーナ・クッシ。威圧的で底知れない恐ろしさを放つふたりの審査官にはローラ・ゴメスとベン・テンプル。

 なぜふたりは止められたのか? 審査官は何かを知っているのか? 何が真実で何が嘘なのか? 主人公カップルが直面する恐怖と揺れ動く心情が迫り来ること間違いない。


point of view

 世界各国で移民の問題に目を向けられることが多くなった今。とりわけ、第二次トランプ政権下のアメリカでは移民の強制送還や不当な逮捕が多数起こり、外国人の入国審査も厳しくなっていると報道されている。主人公の事実婚カップルはスペインのバルセロナからアメリカのニューヨークへと渡り、入国審査で引っかかるわけだが、この状況は今や日本人にとっても対岸の火事ではない。近い将来自分に起こってもおかしくないことだからこそ、彼らの戸惑いや恐怖がこの上なくリアルに迫り来る。

 説明もなく密室に連行され、手荒な身体検査を受け、やはり説明もなく始まる質疑応答。審査官ふたりの質問内容は、移住ビザを持つ移住者の入国審査というより、犯罪者への尋問のよう。質問される側の立場や心の動きを巧みに読み取り、疑念の種を蒔いて育て、芽吹かせていくさまに肌が粟立った。質問に答えるほどに個人の尊厳は傷つき、自分自身も、この世でいちばん信じていたはずのパートナーのこともわからなくなっていく恐怖。入国できたわけでも拒否されたわけでもない宙ぶらりんの状態で、徐々にアイデンティティと信頼が崩れ去っていく。それは、悪夢のような時間だ。

 審査官のひとりはラテン系の女性であり、主人公たちと似通ったバッググラウンドを持つことが示唆されている点がまた、恐怖に拍車をかける。アメリカの社会においてマイノリティのひとりだろう女性審査官は、自分と似ている人たちを追い詰めてでも力と立場を示さないと今を生き抜けない。そういうことなのだろうと想像し、そんな社会になっているのだと改めて強く実感することになった。

 繰り返すが、これは“あなた”にも起こるかもしれない出来事だ。深層心理が強制的に浮き彫りにされる恐怖を体感する映画時間を。


『入国審査』

https://movies.shochiku.co.jp/uponentry

2023年/スペイン/77分

監督・脚本 アレハンドロ・ロハス フアン・セバスチャン・バスケス
出演 アルベルト・アンマン ブルーナ・クッシ ほか
配給 松竹

※8月1日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開

©2022 ZABRISKIE FILMS SL, BASQUE FILM SERVICES SL, SYGNATIA SL, UPON ENTRY AIE



第97回アカデミー賞国際長編映画賞受賞
軍に夫を奪われた女性の抵抗の物語

 『セントラル・ステーション』(1998)や『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)などを手がけるブラジル出身の名匠ウォルター・サレスが、16年ぶりに祖国にカメラを向ける。描かれるのは、1970年、軍事独裁政権下のブラジルで消息を絶った元国会議員のルーベンス・パイヴァと、夫の行方を追い続けた妻エウニセの実話に基づく物語。理不尽な時代に人生を揺るがされながらも抗い続けた女性の力強い姿を、35mmとスーパー8mmフィルムを使って永遠の記憶として刻みつける。

 主人公のエウニセを演じるのはブラジルの名優であり、作家としてもその才能を発揮するフェルナンダ・トーレス。老年期のエウニセを演じるのはその実の母であり、『セントラル・ステーション』でブラジル人初のアカデミー主演女優賞候補となったフェルナンダ・モンテネグロ。実の母娘、ふたりの名優が記憶と時代、そして命の継承を体現する。

 第81回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞。第82回ゴールデングローブ賞ではフェルナンダ・トーレスがブラジル人女優として初めて主演女優賞に輝き、第97回アカデミー賞では、ブラジル映画史上初となる作品賞ノミネートを含む3部門に名を連ね、国際長編映画賞を受賞するなど、世界で賞賛された1本。国家に家族、言葉、未来を奪われ、喪失を抱えながらも闘志を燃やし続け、夫の名を呼び続けた女性の姿に何を思うのか。鑑賞後に胸に残る思いを大切に留めたい。


point of view

 ブラジルは1964年の軍事クーデターを発端に1985年に民主化への道が開かれるまで、軍事独裁政権の支配が続いていた。物語が始まるのは1970年。表現の自由が制限され、軍事独裁政権への抵抗運動を繰り広げる反対派を排除するために拷問や監禁が横行していた時代だった。そんな時代において理不尽に夫を奪われた主人公の女性エウニセを演じたフェルナンダ・トーレスが素晴らしい。感情をわかりやすく表に出すようなことはない。沈黙し、微笑むその姿をもって、身のうちに激情を潜ませていることを伝えている。夫を奪われた怒り、悲しみだけではない。母として子どもたちを守らなければいけないという思いと、それでも抵抗し続けなくてならない、忘れさせてなるものかという思いがぶつかり合い、葛藤する様子もしっかりと伝えている。

 本作は2024年11月にブラジル本国で公開され、その年末には観客動員数400万人を突破。新型コロナウィルスのパンデミック以降最大のヒット作となり、ブラジル本国で社会現象を巻き起こした。公開直前に元大統領のジャイル・ボルソナロによる軍事クーデター計画の存在が報じられ、国民の間で軍事独裁政権時代の記憶が生々しく甦ったことも、その熱狂の一因だと言われている。軍事政権時代を賛美する極右勢力からの上映ボイコット運動も起こる中の大ヒットは、エウニセが灯し続けた火が彼女の子どもたちへ、映画の作り手たちへ、そして映画を観た人々へと確かに受け継がれたという証しなのかもしれない。


『アイム・スティル・ヒア』

https://klockworx.com/movies/imstillhere

2024年/ブラジル・フランス/137分/PG12

監督 ウォルター・サレス
出演 フェルナンダ・トーレス セルトン・メロ フェルナンダ・モンテネグロ ほか
配給 クロックワークス

※8月8日(金)より新宿武蔵野館ほかにて全国公開

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