FLYING POSTMAN PRESS

ヒルマ・アフ・クリントの大回顧展


展示風景より 〈10の最大物〉1907年 以下作品はすべて、ヒルマ・アフ・クリント財団蔵

抽象画の先駆者、アジア初上陸
ヒルマ・アフ・クリントの無限の創造力

 スウェーデンの画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)の大回顧展『ヒルマ・アフ・クリント展』が6月15日(日)まで、東京・竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている。

 抽象画の創始者と言われるワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンらに先駆けて抽象的な表現を生み出したヒルマ・アフ・クリントだが、カンディンスキーやモンドリアンのように、当時からその存在が広く知れわたることはなかった。そんな彼女に注目が集まり始めたのは、21世紀に入ってからのこと。世界各地の美術館で展覧会が開催されると大きな評判を呼び、瞬く間に世界が最も注目する画家のひとりとなった。

 本展はそんなヒルマ・アフ・クリントのアジア初の大回顧展。謎に包まれた画業の全貌に迫ろうと、足を運んだ。


職業画家から、精神世界の探究へ

 1862年、ストックホルムの裕福な家庭に生まれたヒルマ・アフ・クリント。海軍士官だった父親の仕事柄、幼い頃から天文学や航海術、数学などが身近にある中で育ったことが、のちに彼女の制作に大きな影響を与えることとなった。当時のスウェーデンでは女性アーティストは数少ない存在だったが、そんな中でも彼女は王立芸術アカデミーを優秀な成績で卒業。その後は、主に肖像画や風景画を手がける職業画家として活動することとなる。展示冒頭では、アカデミー在学中に制作された作品が並び、その正確で繊細な描写からは、彼女の確かな技量がうかがえる。

 一方、17歳の頃、ヒルマ・アフ・クリントが関心を持ち始めたのがスピリチュアリズム(心霊主義)だった。霊魂を扱う思想に惹かれ、4人の女性とグループ「5人(De Fem)」を結成。交霊の集いを頻繁に行い、トランス状態の中で霊的な存在からメッセージを受け取り、それらを自動書記や自動描画によって記録していったという。そこから生まれたのは、アカデミックな絵画とはまったく異なる表現。螺旋や有機的な円、オウムガイなど、のちの作品にも見られるモティーフが描かれ、そこに彼女の創作の源流を見出すことができる。


展示風景より 初期の花のスケッチ 制作年不詳


宇宙のような深淵さ「神殿のための絵画」

 「5人」の活動の中で、アフ・クリントは神智学的な教えに基づく絵を描くよう啓示を受けた。それをもとに制作されたのが、彼女が構想した神殿を飾るための、全193作品からなる「神殿のための絵画」だ。これらは複数のシリーズやグループで構成されており、明確な意志をもって体系的な編成がなされている。

 〈白鳥〉のシリーズでは、白と黒の2羽の白鳥が対峙する絵画から始まり、抽象化された4つの図像になったかと思うと、やがてひとつの円となり、そこから突然オウムガイのモティーフが生まれ、最後には再び絡み合った2羽の白鳥が登場する。それはまるで、白鳥という生命が原始レベルまで分解され、化学反応を起こし、ほかの物質へ変化していくといった、宇宙における生命サイクルの一部を目の当たりにしているように錯覚してしまう。これらの作品から受けた恐怖にも似た衝撃は、映画『2001年宇宙の旅』(1986)を観終えた時に受けたそれに通じるものがあった。


展示風景より 〈白鳥、SUW シリーズ、グループIX:パートⅠ〉 1914–15年

 本展のハイライトは10点組の絵画からなる〈10の最大物〉だ。これらは、ヒルマ・アフ・クリントが人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)についての「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作する啓示を受け、「神殿のための絵画」の一部として描いたもの。

 展示会場に足を踏み入れると、薄暗い広大な空間に、高さ3mにも及ぶ色鮮やかな作品群が静かに浮かび上がる。そして、作品が放つエネルギーに圧倒された。作品を目にしたというよりも、美しい真理のような存在に遭遇した、と言い表したほうがしっくりくる体験だった。植物を思わせるような図像や、澄んだ色彩が奏でる音楽は、鑑賞者の心に響いて内省を誘う。作品は柱の側面を巡るように掲げられ、老年期から再び幼年期へと還る生命の輪廻を思わせるような展示構造となっている。


展示風景より 〈10の最大物〉1907年
上:画面左側の幼年期から時計回りに、青年期、成人期と進み、最後は画面右側の老年期へ
下:いずれも成人期


後世へ託した作品。世界で進む再評価

 展示の後半では、「神殿のための絵画」以降の水彩画のほか、ヒルマ・アフ・クリントが遺したノートなどが展示されている。晩年は制作活動以上に、自身の思想や作品を後世に遺す活動に力を注いだ彼女。その一環として過去のノートの編集や改訂も行なった。ノートには「神殿のための絵画」を収めるための建築物、つまり神殿の具体的な構想も記されている。この構想はついに実現することはなく、約1,300点の作品と124冊にも及ぶノートを甥に託し、アフ・クリントは81歳で生涯を終えることとなった。

 死後20年は作品を公開しないよう伝えていたというヒルマ・アフ・クリントの名は、長らく限られた人々にしか知られていなかった。しかし、2013年にストックホルム近代美術館からスタートしたヨーロッパ巡回展以降、カンディンスキーやモンドリアンに先駆けて抽象絵画のパイオニアと謳われるように。世界では彼女の作品の再評価が進んでおり、教科書の美術史が書き換えられる日はそう遠くはないのかもしれない。『ヒルマ・アフ・クリント展』は、会期折り返し時期に。世界が注目するその作品を、この機会にぜひ、その目で確かめてほしい。


展示風景より
上:〈パルジファル・シリーズ〉1916年
下:〈青の本〉制作年不詳


「ヒルマ・アフ・クリント展」
会場 東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー(東京・竹橋)
会期 3月4日(火)~6月15日(日)
休館日 月曜日、5月7日
開館時間 10:00~17:00(金・土は20:00まで/入館は閉館の30分前まで)