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フライング・ポストマン・プレス 名古屋版

2017/10/02

10月6日(金)公開 映画『エルネスト もう一人のゲバラ』舞台挨拶付先行上映会に主演のオダギリジョーさん、阪本順治監督が登壇!

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弱者のために立ち上がったキューバ革命の歴史的英雄チェ・ゲバラ。ボリビア戦線で、ゲバラと共に行動し、志を貫いて殉じていった唯一の若き日系人がいた。彼の名はフレディ前村ウルタード。

日本とキューバの合作映画である阪本順治監督の『エルネスト もう一人のゲバラ』は、激動の時代を駆け抜け、祖国ボリビアでの抵抗運動に身を投じたフレディ前村の生涯を描いた“青春映画”だ。

 

TOHOシネマズ名古屋ベイシティで行われた舞台挨拶付先行上映会に、映画全編をスペイン語で演じきった主演のオダギリジョーさんと阪本順治監督が登壇し、映画に込めた想いを語った。

 

 

 

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—オダギリさんは、名古屋はお久しぶりなんですよね。

オダギリ:5年振りくらいですね。きしめんも好きなんですけど、今日は阪本監督とひつまぶしをいただきました。美味しかったです。

 

 

—いよいよ今週公開となります。今のお気持ちはいかがですか?

オダギリ:日本で今こういった作品を作るのは難しいですし、作ろうと思う人も少ない状況です。そんな中で、阪本監督とプロデューサーがオダギリに任せてみようと思ってくださったことが光栄ですし、この作品に関われたことが自分の人生の財産になったと、はっきりと今思っています。

阪本:主人公のフレディ前村ウルタードさんは実在の方なので、ご家族を傷つけたくないですし、丁寧に描かなければといけないと思いました。準備することがたくさんあり、結果として完成まで3年ほどかかりましたね。簡単に説明すると、医師になりたくてキューバの大学に入学した彼が、それから5年後に聴診器を武器に持ち替えるという映画です。学生生活の間に何があったのか、実際にご家族にお話しを聞いて脚本に織り込みました。お姉さんのマリーさんのお話の中で印象に残った言葉がありまして。「弟のフレディは医師になって人を助けたかったはずなのに、武器を持って人を殺めるかもしれないという立場になって、きっとその間で悩んでいたのだろう」とおっしゃられて。チェ・ゲバラと一緒に戦っている姿というより、名もなき一人の学生がどういう生活を送ってきたのかが大事だと思いました。戦闘シーンよりも、誰にでもあるキャンパスライフを中心に描いています。

 

 

 

—今の時代に、何故この作品を撮ろうと思われたのでしょうか。

阪本:フレディの生き方に惹かれたというのが一番です。当時、キューバで学ぶ医学生達は、医師免許を取って自国に戻り、特権階級にしか許されていなかった医療というものを市民に開放するという目的を持っていました。常に「他者に対して何ができるか」ということを考えて学生生活を送り、その延長上でフレディは革命戦士になるのですが。“エルネスト”とは、“真面目”とか“真剣”という意味を持った言葉です。もっと突き詰めると“目的を決めた上でその目的に向かって真剣に突き進む”という、この名前はまさに彼の人生そのもの。今、そういうエルネストって少ないじゃないですか。僕も映画を作っている時だけはエルネストなんですけど(笑)。そういったことが伝わるといいなと思いますね。

 

 

 

—オダギリさんは、フレディという役をどのように受け止めましたか?

オダギリ:これまで、チェ・ゲバラやこの時代のキューバに興味があったのですが、そこに日系の方がいたと聞いたときは驚きました。同時に、どこか誇らしい気持ちが興味に変わったというか。多くの日本人は知らないだろう存在。だからこそ作品にして知ってもらうことが大事だなと。20年くらい俳優をやらせてもらって、そこで経験したことが全て生かされたというか、これまでの経験があったからこそ、乗り越えることが出来た役だと思います。

 

 

 

—キューバでの撮影で苦労されたことは?

阪本:物資があまり無いんです。エネルギーが不足していてホテルは度々停電になるし、美術さんはペンキがなかなか手に入らなかったり、メイクさんはコットンが足りなかったり。そんな中で彼らは、調達できないものは自分達で作るという発想があるんですよ。キューバにもいい機材は揃っているのですが、下見の時に、日本では今こういう照明機材があって…と図に書いたら、撮影の時にはもうそれを作っていたんです。そういったマンパワーの凄さというのは他の国では経験できなかったことですね。

オダギリ:困難やトラブルが起こりながらの撮影だったのは確かです。そこをみんなで協力し合いながら、キューバのスタッフにも力を貸してもらって1本の映画が完成したというのは、今までの作品とはまた違う感慨がありました。

 

 

 

—撮影を共にしたキューバの方達の印象は。

オダギリ:キューバの人には、今の日本人が忘れかけている思いやりというか、見返りを求めない優しさが凄くあたたかく残っていると感じました。それが凄く嬉しかったです。

 

 

 

—これから映画を観る人にメッセージをお願いします。

オダギリ:こちらから客席を見ていると、本気でこの映画を観たいという方が集まってくれたんだなと。とても嬉しいですし、そういう人達に直球で返せる作品だと思います。是非、周りの方にも良い映画だったと伝えていただけたら嬉しいです。

阪本:観終えた時に、オダギリジョーは凄いなと思ってくれたら嬉しいです。それは俳優の技術が凄いということではなくて、オダギリジョーが凄いと思ってくれたら、この映画は伝わったということに繋がるんです。フレディは最後には死にます。死ぬけれども、どこかで皆さんの心に生き続けてくれれば嬉しいです。

 

 

 

 

 

【STORY】

1959年7月24日、外務省の中南米課のもとに1本の電話が入る。日本を訪問していた“エルネスト”・チェ・ゲバラ(ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)らが急遽、広島へ向かったという。ほとんどの記者が興味を示さずにいたが、唯一地元の中国新聞社・森記者(永山絢斗)だけが取材に同行。ゲバラは、原爆ドームや原爆資料館などを訪れ、こう感想を述べるのだった。「君たちは、アメリカにこんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」と。

それから数年後の1962年4月、ひとりの日系人青年がキューバの地に立っていた。愛する祖国ボリビアのため、医者になることを決意し、ハバナ大学の医学部を目指してやってきたフレディ前村(オダギリジョー)である。20歳の彼は、ハバナ大への入学を前に、最高指導者フィデル・カストロ(ロベルト・エスピノサ)によって創立されたヒロン浜勝利医学校で、医学の予備過程を学ぶこととなる。1963年の元旦に憧れのゲバラが学校にやってきて、フレディは個人的に話しかけた。「あなたの絶対的自信はどこから?」。ゲバラは答えた。「自信とかではなく怒っているんだ、いつも。怒りは、憎しみとは違う。憎しみから始まる戦いは勝てない」。

そんな矢先、母国ボリビアで軍事クーデターが起こり、フレディは『革命支援隊』に加わることを決意する。ある日、司令官室に呼ばれ、ゲバラから戦地での戦士ネームである、“エルネスト・メディコ”という名を授けられ、ボリビアでの戦いへと向かうのだった……。

 

 

<映画詳細>

日本・キューバ合作映画

映画『エルネスト もう一人のゲバラ』

出演:オダギリジョー 永山絢斗 ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ アレクシス・ディアス・デ・ビジェガス

脚本・監督:阪本順治

製作:キノフィルムズ/RTV COMERCIAL 

原案:マリー・前村・ウルタード、エクトル・ソラーレス・前村「チェ・ゲバラと共に戦ったある日系二世の生涯 革命に生きた侍」(キノブックス刊)

配給:キノフィルムズ/木下グループ

©2017 “ERNESTO” FILM PARTNERS.

 

公式HP:http://www.ernesto.jp

Twitter:https://twitter.com/ernesto_movie

 

 

 

10月6日(金)TOHOシネマズ名古屋ベイシティ他にてロードショー!!


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