エンターテインメントフリーペーパー フライング・ポストマン・プレス

フライング・ポストマン・プレス 福岡版

2018/07/20

この愛は純愛か、異常か。松居大悟監督、池松壮亮が語る愛の形

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映画『アフロ田中』『アズミ・ハルコは行方不明』やドラマ「バイプレイヤーズ」シリーズなど国内外で高い評価を得る松居大悟がメガホンを取り、主演に池松壮亮を迎え贈る衝撃作『君が君で君だ』。自分の名前すら捨て去り、10年間好きな彼女を見守り続けた3人の男たちの愛の顛末を描く完全オリジナルストーリー。本作を代表し、池松壮亮、松居大悟監督のふたりが地元・福岡で凱旋。ふたりが語る愛することの意味とは——。

 

 

……まず今回の設定に面白みを覚えましたが、元々の着想はどうやって生まれたのでしょうか?

松居「2011年に舞台をやったテーマを基に映画に作り変えたのですが、その舞台をやっている時期が劇団もうまくいかず、一番辛い時期で。何も信じられないそんな時に、ドラマや映画のラブストーリーでよく描かれる、告白して結ばれるという恋愛のあり方が、果たして正しいのかという疑問を持ち…、というか腹が立ってきて(笑)。想いを伝えずにいることが悪いという風潮に違和感を覚えたし、想いが強ければ強いほど伝えられないこともあるので、誰かが誰かを想い続けている姿を描きたいと思いました。例えば向日葵は、太陽の光を浴びながら成長していくけど、決してそのふたつが交わることはない。何かそんな関係性を描けないかな、というところがきっかけでした。そこで自分の名前すらも捨てて、想いを寄せる女性が好きな人物になりきるという究極の自己犠牲像を思いついて。ただ最初に「映画化してみないか」と同級生のプロデューサーに依頼された時は、共感されにくい作品なので、これを商業映画でやっていいのかという思いもありました。でも、強いオリジナリティを持つ自分にとっては核になる大切な作品だし、仲間が増えてきた今ならこれを皆と育てられると自信が湧いて挑戦しました」

 

……その中で、池松さんに尾崎豊、満島真之介さんにブラッド・ピット(ブラピ)、大倉孝二さんに坂本龍馬になりきってもらいましたが、池松さんになぜ尾崎豊を?

松居「僕が中学生の頃、尾崎豊はすでに亡くなられていましたけど、当時の自分は何となく自信がなくて、あまり学校も行けず鬱屈としていたんです。そんな時、尾崎の曲を聴いたら、何でもできるような“無敵”な感じがあって。背中をバンバン叩かれるような存在で、ずっと憧れていました。この作品で主人公は決して辿り着くことのできない場所をずっと見つめて、その深い想いの中でもがき続けている究極の姿が、自分にとっては尾崎豊そのものでした。池松くんとは福岡から上京してきた当時からラジオドラマや舞台、MVとかけっこう長い付き合いで、前に「リリオム」という舞台を一緒にやった時、愛というものに挑戦して当時は敗北感もありましたが、俳優・池松壮亮として、また一緒に戦う男として、彼に真ん中にいてほしかったという思いがありました」

 

……そのオファーを受けて、池松さんはいかがでしたか?

池松「最初、尾崎豊の映画だと思っていたんですよ、実際にフタ開けたら全然違っていて(笑)。尾崎豊と言う存在は父親の影響で、すごく聴いていて。偶然ですが、僕が物心ついて初めて歌詞も見ずに歌えるようになった曲が「僕が僕であるために」なんです。僕は90年生まれであの人は92年に亡くなりましたけど、いつの間にかあの人の遺した表現が自分の中に染み付いて、生きる指針みたいなものや、人としてあるべき姿を学んだような気がしたんです。だから、あの人には特別な想いがありまして…、だからそんな尾崎豊の役だと思っていたので…(笑)。それは冗談ですが、松居監督とは一緒に色んな作品に挑戦していて、人を想うこととか、愛することとか、ぜんぜん形は違うけど根底に持っているものは監督と通ずる部分がありますね。今の時代に日本映画でオリジナル作品をやること自体、商業映画としてものすごく難しいことなのですが、そんな中で松居さんが自分の内にあるものに目を向けて、すごく深い内面のところで誰かと握手をしようとしている姿に賛同したい気持ちがあったし、あと尾崎豊を汚されたくないという思いでやらせていただきました(笑)」

 

……“尾崎豊になりきる男”の役をどのように捉え向き合われましたか?

池松「主人公の彼は、尾崎豊の名前を借りているだけで、結局自分が好きになった人物になる訳でもなければ、自分が好きな人の好きな人になろうとしているだけで、(尾崎豊の存在とは)意外と距離があって。とは言えあの人が遺した歌をお借りする訳ですから、例えば尾崎豊が天国からこの映画を観て笑いながら応援してくれるような作品にしなければいけないと思いました。だから尾崎豊と言う存在から離れ過ぎず、松居監督が描こうとしているこの映画の核みたいなもの、そのふたつの軸を常に持ちつつ、生の感情を抑えていけばいけるかなと思いました」

松居「(なろうとしている人物への)なれなさを撮りたいという思いがあって、だからこそ同時代に存在しない尾崎豊、ブラッド・ピット、坂本龍馬という設定にしたのですが、例えば尾崎豊になろうとして、なれなければなれないほど彼女との距離を感じる象徴になる。以前僕が手掛けた「バイプレイヤーズ」と言う本人役ドラマがあって、それはお芝居という虚構の中で自分が自分自身の役を演じることでドラマを超えた説得力や面白さがあると思ったんです。今回はその逆で、何かになろうとしているけど絶対になれないという中での人間らしさを意識的に描ききることができました」

 

……愛することのあり方を問われるような作品でもありましたが、池松さんはこの役を通して感じることはありましたか?

池松「人を想うことには色んな形があって、人類の誰かが愛するということに答えを出しているかというと、おそらく21世紀の今でも誰も出せていない。尾崎豊の「僕が僕であるために」の歌詞に「こんなに君を好きなのに、明日さえ教えてあげられない」と歌っていますけど、本当にその通りで永遠の愛とか、好きとか、愛していると平気な顔で口にするけど、この映画の3人を見た時に果たしてそこまで人生を懸けて自分のあり方で、人を愛することができているかというと、ほとんどの人ができていないと思うんです。もちろん僕もできない側ですし、だからこそ惹かれるものもありましたね」

 

……最後にこの作品で主演を務められた今の心境をお聞かせください。

池松「昨今の恋愛映画というものは、結果にロマンチックなものを求める傾向が強いと思うんです。手を繋いだ瞬間やキスをした瞬間、告白や抱き合った場面に意味を持たせているものがほとんどで。でも僕は、恋愛映画を観るのはあまり得意じゃなくて、極端に言えば終電で抱き合っているカップルくらいどうでもいいと思っていて(笑)。あれを観せられているような感覚で、観たいと思えなかったんです。でも、この映画の主人公たちは、ヒロインに会おうともしない人たちなんです。その会わない時間こそがロマンチックなんだと。つまり人を想っている時間、例えば誰かを想いながら歩いた放課後とか帰り道、そんなところに松居さんの面白さがあって、自分の中でもそれは新しい発見でした。ヒロインを見つめ続けながら、好きな人を3人で共有した10年間こそが、かけがえのない時間だし、ロマンチックなことだなと教えてくれる作品です。すごく狂っているし、格闘技に例えるなら無理やり寝技に持ち込んで、引きずり回す力技のような映画ですけど、すごく純度の高い純恋愛を描いていると思います」

 

 

 

 

 

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STORY

この愛は純情か、それとも異常か。 日本の伝説のロックシンガー「尾崎豊」、世界中の誰もが知るハリウッドの名俳優「ブラピ」、日本の歴史を大きく変えた人物「坂本龍馬」━好きな子の好きな男になりきり、自分の名前すら捨て、10年間彼女を見守ってきた3人。執拗な借金の取り立てから 好きな子を守るべく3人は立ち上がろうとするも返り討ちに!大いなる騒動へと発展する…。

 

『君が君で君だ』’18年/日/104分

原作・脚本・監督:松居大悟

出演:池松壮亮、キム・コッピ、満島真之介、大倉孝二、高杉真宙、中村映里子、山田真歩、光石研(特別出演)、向井理、YOU

※T・ジョイ博多、他にて公開中

https://kimikimikimi.jp/

 

Ⓒ2018「君が君で君だ」製作委員会

 

 


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