エンターテインメントフリーペーパー FLYING POSTMAN PRESS

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今年、開催20周年を迎えるスピッツ主催の<ロックロックこんにちは!>は、1997年に大阪でスタートし、今や夏の恒例イベントとして定着している。今号ではスピッツのメンバーと共に歩んできたコンサート制作プロモーターの梅木氏を交え、イベントを立ち上げたきっかけや数々の思い出エピソードを語ってもらった。また、今年はなんばHatchと大阪城ホールで合計4日間に渡って行われる<ロックロックこんにちは!20th Anniversary Special ~R2 need U, I need U~>に向けての意気込みを訊いた。

昔は“ライヴバンド”とか言われたことがなかった

――まずスピッツにとって<ロックロックこんにちは!>(以下、<ロックロック>)というのは、どういう場所だと思いますか?
草野「ライヴの可能性を探れる場所かな」
田村「昔は“ライヴバンド”とか言われたことがなかったけど、“ライヴいいよね!”って言われるようになったのは、<ロックロック>の存在が大きいかもしれないですね。<ロックロック>がスタートした頃(1997年)って、俺らはホールツアーがメインになっていて、スタンディングのイメージがなくなってた時期でもあって。今は音楽的な刺激を一番得る場所でもあるよね」
三輪「<ロックロック>は観る人もそうだけど、出演者もスタッフもみんなが楽しくやりたいっていう想いでやってきたし、一緒にやるバンドのライヴもゆっくり観れる場所でもあります」
――そもそも<ロックロック>を始めた経緯とは?
草野「俺らは何かを仕切ったりするのが元から全然得意じゃなかったけど(笑)、梅ちゃんと出会ったのが一番大きいと思うな」
田村「<ロックロック>以前から、梅木がやるイベントはいつもおもしろかったんだよね」
草野「うん。梅ちゃんは自由な発想力とバイタリティーがあった。当時そういうイベンターさんって他にいなかったので、バンドで何か一緒にしたかったんです」
梅木「当時を振り返ってみると、自分も<ロックロック>と一緒に成長してきたなと思いますね」
――<ロックロック>の第1回目は1997年8月ですね。最初はどんな内容だったんですか?
草野「普通のツアーとは違う、“お楽しみ会”的な、お遊び的な要素を入れてやってましたね」
梅木「第1回目ではバンドマン以外にマジシャンの人にも幕間に出てもらったんだけど、ライヴハウスなので傾斜や段差がなく、3列目までの人しかマジックが見れないっていう大失敗をした(笑)」
草野「2回目は若手漫才コンビに出てもらったし、当時からいろいろ試す楽しさはあったよね」
――イベント自体が軌道に乗ってきたのはいつ頃からでしょうか?
田村「今思うと2回目には雛形っぽいスタイルができてたのかも…。その後もいろいろあり、混迷期もあったけど…」
草野「5回目に野外(メガKobe/2001年)でやった時、出演者がすごくたくさんで、誰が出るのか俺らもよくわかってないっていう状態だったことがあったんです。“これはスピッツ仕切りじゃないかもな”って疑問符が出てきた。そこからキャスティングは全員でちゃんとミーティングして決めようって話し合いました。それ以降は、メンバーもスタッフも自信を持ってレコメンドできる人たちに出てもらうように確立しましたね。誰かが企画してくれたものに乗っかるっていうんじゃなく、引率する先生みたいな気持ちで続けようと思ったんです」

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